浜田宏一教授、東大のホームカミングデイで基調講演

去る10月29日(土)午前10時より、 東京大学の第十回ホームカミングデイ (Home Coming Day)が本郷と駒場の両キャンパスで開催された。13時から15時まで本郷の安田講堂で特別フォーラム「世界で学ぶ、働く、生きる」が開催され、イェール大学経済学科教授でFUTI理事会のメンバーでもある浜田宏一氏が「大学の国際化はなぜ必要か?」という題目で基調講演を行なった。このフォーラムには次の4人の諸氏がパネリストとして参加した。赤地葉子 (世界エイズ・結核・マラリア対策基金 テクニカルオフィサー)、土井香苗 (ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表)、野口聡一 (JAXA宇宙飛行士)、及び水越豊 (ボストンコンサルティンググループ日本代表)。以下は浜田宏一教授の講演内容である。

 

大学の国際化はなぜ必要か?  浜田宏一(イェール大学経済学科教授)

東京大学の第十回ホームカミングデイでお話できることは大変光栄なことです。本日のご招待にご尽力いただいた吉川洋前経済学大学院研究科長、そして江川雅子東大理事、杉山健一副理事それに東大渉外部、卒業生課の皆様に心から御礼申し上げます。

学生時代の大きな思い出は、当時東大の応援歌の作曲懸賞募集に当選して、自分のメロディが昭和32年度応援歌、「美しく夜は明けて」(藤沢陽 作詞)として残っていることです。当選したときには、この安田講堂で演奏され、神宮の野球の応援でも歌われました。もっとも、なにしろ「ただ一つ」とか山田耕筰作曲の運動会歌とも競争があるものですから、今は忘れられつつあります。この機会に、皆さんにも聴いていただきたいと思います。

――――<テープによる演奏

青春時代の思い出のメロディを再び聴くことができ、感無量です。入選したとき、東大にも音楽学部があったらなと思いました。とはいえ、東大の音楽部にも貴重な伝統がありました。共に東大オーケストラの先輩である、応援歌の審査員だった伊藤隆太先生(東邦大医学部名誉教授)と、拙作がレコード「東大の歌」に載るとき管弦楽に編曲してくださった入野義郎先生の「楽恩」に感謝申し上げます。

さて、本日は「なぜ大学の国際化が必要か?」という題目でお話をさせていただきます。国際化を主張し、推し進めるためには、どうして国際化が必要なのかという問いに答えなくてはなりません。原則論としては、アメリカの大学が西欧文化、ルネッサンス文化に特化して、東洋で論語や老荘の伝統に特化してもかまわないからです。

 

I. 思考における「類推」の重要性。

 

私は、駒場からはじめ法学部に進学しました。これは私の適性からするとまちがった選択でしたが、そこで川島武宜教授に民法を社会科学として教えられるという幸運に浴しました。川島先生は「アイディアの独創性は多く類推によって生まれる」といわれました。ほかで研究されていることが自分の問題にも役立つことが多いのです。

東大は、一般教育に力を入れており、多角的な視野から教育する教養学部がいい卒業生を出しています。しかし、一部の大学では入学時に専攻を固定していわば蛸壺式の教育が行われ、養老孟司氏のいわゆる「バカの壁」を各学問領域の間に作っています。

これに引き換え、アメリカの「リベラルアーツ」カレッジの教育では、専攻(メジャー)を自らの適性に合わせて時間をかけて選べます。たしかに専門領域に関する教育の密度には欠けますが、あとになって専門外の研究者とも知的興味を持って対話できる能力、学際的研究能力が養われます。

私は、法学部の教育になじめず経済学部に入りなおして、それからは講義、そして研究がうそのように楽しくなりました。父は当時大学の助教授(教育学)で、必ずしも生計は豊かではなかったのに、貴重な知的遍歴を許してくれた両親に心から感謝します。

本題に戻りますと、外国の学問、そして生き方を学ぶことは、他の学問領域を学ぶ以上に知的刺激があります。これが、「なぜ国際化が必要か」という問いに対する第一の答えとなります。

 

II.学際志向の重要性。

 

当時の夢は、国際金融という政策的な問題に、当時は抽象的に論ぜられることの多かったゲーム理論を結び付けたいというものでした。経済学と、政治学との間の境界領域の仕事です。

東大で教え始めたころ、1972-74の間に、わたくしはマサチュ-セッツ州ケンブリッジのMITで客員研究員をしていました。当時、教養学部の政治学者であった佐藤誠三郎先生が、検事の欣子夫人とともにハーバード大に滞在しておられたので、「各国ともどのような国際金融体制を採用するのかは政治的にも重要な問題と思われるので、政治学からの見方をお教えいただきたい」と申し上げると、先生は、2時間余り当時の政治学の業績を説明していただきました。その時数式やグラフを用いて政治学を考える新しい政治学の風潮も、ご自身の意見も交えながら紹介してくださったのです。先生のご親切なしには、小生の『国際金融の政治経済学』も書くことができなかったに違いありません。

 

III. コミュニケーション、外国語の重要性

 

国際化の過程では当然外国語で、時には見ず知らずの人と意見を交換しなければならず、コミュニケーションが重要となります。東洋では、「巧言令色少なし仁」と言って表現は軽視されることもあります。しかし、佐藤欣子さんの書かれた『取引の世界』によれば、日本では「石は水に沈み、木の葉はおのずから浮く」はずなのが、米国ではーー刑事事件などで弁護の結果無罪となった被告を考えてくださいーー「沈んだのが石で、浮かんだのが木の葉」と断定されることになるというのです。

濱田純一総長がコミュニケーションを重視されるのは、国際化を考えるとまさにそのとおりです。もとより、メッセージの内容と表現との間には微妙な関係があります。よく表現しようとすると、内容も磨かれてきます。また内容が光っていれば、よい表現も生まれてきます。

日本の外国語教育は、世界から知識吸収のためでした。私の両親は英語教師でしたし、中学から東大まで8年間一生懸命英語を習ったのに、まったく英語をしゃべれませんでした。香港から来て経済学部の私のゼミに黙々と参加してくれた関志雄氏の言うように、「日本人が英語を話せないのは英語の先生が英語を話せないから」なのです。

アメリカ人と会話する機会を作ってくれたのは、中学、高校、法学部の同級生中村正氏です。彼は、横須賀のアメリカ海軍ベースに躊躇する私を連れて行ってくれました。ジョセフ・カイムという大佐夫妻が、ドライ・マティーニ付きの特訓でした。カイム夫妻、中村氏には、英語開眼、国際化開眼の師として一生感謝しています。くしくも中村氏と私は同じ年度のフルブライト奨学生として留学し、彼はその後ILO〈国際労働機構〉の国際舞台で活躍することになります。

そういうことで、今になっても英語は得意とはいえません。同僚のウイリアム・ブレイナード教授には、「宏一は英語ができなくても経済学ができたからうまくいった例だ」などといわれています。これは東大での経済学教育の賜物です。

 

IV. 当時から国際化されていた東大の教授陣

 

留学前の東大経済学部の教授陣はマルクス経済学者が圧倒的な比重を占めていましたが、近代経済学でも少数ながら珠玉の学者がいました。根岸隆院生〈以下いずれも当時の肩書き〉は大学院のとき世界的業績を発表していましたが、年功序列の世界では院生として、後に助手や助教授になれる年齢を待っていました。しばらくしてすでに世界の将来のノーベル賞学者たちを指導していた宇沢弘文シカゴ大教授を、なんと助教授として東大は呼んだのです。小宮隆太郎助教授は新書『アメリカン・ライフ』とともにさっそうとハーバードの学問の息吹を伝えていました。

私のゼミ指導教官の大石泰彦教授は当時のしきたりにかまわず、英断で根岸院生に大学院での講義を依頼して、私もその学生の一人でした。そして、舘龍一郎教授が私の留学の際、エール大でジェームズ・トービン教授に指導を仰ぐよう勧めてくださったことが、私の人生を大きく変えました。

 

V. トービン教授の教え

 

トービン教授に博士論文の指導をしていただいたのは大変な幸せでしたが、印象的であったことを述べます。

第一に、博士論文のテーマ〈資本移動〉を述べてその見通しを述べた後、「では文献を調べて見ます」といったとたんにさえぎられました。「先行研究を調べすぎてはいけない。君の発想が消されてしまう。自分の頭で考えなさい。」というのです。自分で考えるどこかで壁にぶつかるので、そのとき先人がどう苦労しているかが分かるというのです。

第二に、ほぼ博士論文が完成しそうになったとき、「君も自分の仕事をうまく宣伝しないといけないね。」これは謙虚をモットーとする日本人の先生からは想像できない言葉です。

第三に、前後しますが、私が博士課程の口述試験によい成績で受かったとき、はしゃぎすぎていたのでしょう。「君が喜ぶのは分かるが、優秀でも運が悪くて不合格で悩んでいる友人もいるんだよ。」エリートのあり方を考えさせる一言でした。

 

VI. 国際化すれば日本経済も回復する。

 

トービン教授は、人々の資産選択活動を分析してマクロ経済学と結び付けた大きな業績があり、1981年のノーベル経済学賞を受賞しています。日本経済は、今デフレと円高にさいなまれ、先進諸国のなかでもテール・エンドを歩んでいます。資産選択理論の応用によれば、このような状態は、日本銀行が発行できる資産であるマネーサプライを上手に増やしてやれば解決できるというのが、世界に通用する経済学の常識です。

これに対して、日本の経済学者、エコノミスト、それにマスコミは日本銀行の宣伝にも影響されてか、「金融政策はデフレ解消、円高防止、不況脱却に効かない」という日本独自の俗説に凝り固まっています。したがって、日本の経済学者、そしてメディアが真に国際化すれば、日本経済も回復しうるはずです。

国際化のための話を頼まれながら、政策論点ばかり強調するのもどうかと思いますので、この辺で止めておきます。

 

VII. 結びにかえて

 

日本の各大学はどうしたら国際化を有効に推進できるかに熱心なのだと思います。中国から京大への留学経験者を含むエール大学のクラスの学生、院生に何が国際化のために重要かと聞いてみました。多くの学生から学期の開始時期が各国で一致しないのは困るという答えが戻ってきました。本日お話したような原理的な側面よりも、学生はもっと実際的な面に目がいっているわけです。そこで、東京大学が9月入学を考えているのは、実は本当に重要なのだなと再認識した次第です。

ご静聴ありがとうございました。


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