小林理事長シンテック社の金川千尋会長・創業者を訪問

独立行政法人情報通信研究所の特級研究員として3月31日より2週間訪日した小林久志理事長は4月2日に東大渉外本部長山路一隆氏、吉田洋一部長と共に、信越化学工業株式会社の会長でありその米国子会社シンテック社の会長・創業者を兼務する金川千尋氏と信越化学工業の常務取締役の秋本俊哉氏を表敬訪問した。

Kobayashi Visits Shintech

左より、秋本氏、山路氏、金川会長、小林氏、吉田氏。
注:ネクタイを忘れた小林は、急遽、山路氏のネクタイを借りた

シンテック社(本社テキサス州ヒューストン市)はFUTIを支援するために2009年3月に信託基金 (500万ドル)を設立したが、その契約期間を、2020年迄延長して下さったシンテック社に対し小林氏は「シンテック社からのご寄付がFUTIの収入の50%を占め、2014年の夏も20名近くの学生に奨学金を授与することが出来そうです。ひとえに金川会長のご尽力によるもので、深く感謝いたします」と述べた。金川会長は「我が社の信託基金が、明日の日本やアメリカを背負う若者の育成に使われるのは大変喜ばしいことです」と応答された。

その後30分程に亘った歓談は、今年設立40周年を迎えるシンテック社の発展を記録した「シンテック社史」(217ページ、2014年3月発行)にも掲載された金川氏の1970年代当時の思い出話などにも及んだ。シンテック社は1974年10月にテキサス州のフリーポート工場で塩化ビニル樹脂生産の操業を開始した。当時の生産能力は年産10万トンで米国内第13位として第一歩を踏み出した。その経営に当たった金川氏は、米国及び世界市場の開拓を積極的に進め、その生産能力は10年後には45万トン、1990年には90万トンに達し、2001年には204万トンの生産能力を達成、世界最大になり、2010年には263トンに達した。

金川氏の経営哲学に関しては2006年に日本経済新聞に連載された同氏の「私の履歴書」や数々の著書から多くを学ぶことが出来るが、「少数精鋭主義」が同氏の信条であり、経営の原則である。国内外から数多くの賞を授与されておられるのは当然だが、法学部政治学科を1950年に卒業された金川氏が2011年6月にシンテックの経営をまとめた論文「ポリ塩化ビニル工業の経営―コモディティ事業における事業強化と経営」により、東大大学院工学系研究科より博士号を授与されたことは、特筆に価する。


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