2015-2016 年度にFUTI にご寄付をされた皆様の中から数人の方々にメッセージをお願いいたしました。ご返事を下さった方々のメッセージをニューズレター15号と16号で紹介いたします。一人でも多くの読者が共感されて、2016-2017年度のキャンペーンにご協力頂ける事を期待しております。
山崎舜平
株式会社半導体エネルギー研究所 代表取締役
- 1965年 同志社大学工学部卒業
- 1971年 同志社大学大学院博士課程修了(工学博士)
- “フラッシュメモリ”として知られる不揮発性メモリのトランジスタ構造を博士課程在学中の1970年に発明。2011年3月には、特許取得数世界一(6,314件以上)としてギネスブックに認定された。
私は東京大学の卒業生というわけではございませんが、この度東大友の会よりご丁寧なご依頼をいただき、一筆とらせていただきました。私は、FUTIの名誉理事長であり、プリンストン大学でシャーマン・フェアチャイルド名誉教授をされている小林久志先生とのご縁があって寄付をさせていただきました。小林先生には、1990年に私がプリンストン大学を訪れた際に初めてお会いして以来、大変お世話になっております。未来のリーダーを育てるための教育支援を行うFUTIの活動に共感し、微力ながらこれまで何度かご協力させていただきました。ニューズレターや年度報告書等で数々の活動が行われている様子を拝見する度、有効にご利用いただけているようで大変嬉しく感じております。
私自身のことを振り返ってみましても、学生時分より様々な方からご支援を受けて学ばせていただいたと思います。私の恩師で、フェライトの発明者である加藤与五郎先生には、大学2年生のときに出会ってからご逝去されるまで、先生が私費を投じて創設された「創造科学教育研究所」にて、大変お世話になりました。加藤先生は、私たちに様々な学びの場を提供して下さっただけでなく、東京に出てこられる際に最も運賃の安い汽車の三等席に乗って交通費を節約し、6千円(現在の貨幣価値で約6万円)ほどの奨学金を下さり、私はそのおかげで勉強をさせていただくことができました。私にとって、多感な学生時代に創造科学教育を実践される加藤先生のもとで学ばせていただいたことは、何にも変えがたい貴重な経験となりました。
また、その加藤先生ご自身も、若い頃にはカリフォルニア工科大学を設立されたA.A.ノイス先生がMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授であった時代にサポートを受けることで、アメリカに2年間留学する機会を得ていました。そして、先進国アメリカで日本とは全く異なった教育や国民性に触れることにより、帰国後にそれらを活かして日本の教育に情熱を注がれました。
このように、人は1人で学ぶことはできず、誰でも必ず色々な人との出会いや周囲からの支援があったのではと思います。意欲ある若い方々に経済的支援とさまざまなチャンスを与えることは、これまで同じように周囲の人々から暖かいサポートを受けて学ばせていただいた我々が果たすべき大切な使命であるように思います。我々は出来る限りのサポートをし、それを受けて学ぶ人たちは感謝の気持ちを忘れず一生懸命に学び、社会に貢献していくことが重要だと思います。現在、私自身が理事長を勤めております公益財団法人 加藤山崎教育基金を通じて若い世代への教育支援を行っております。FUTIを通じても、日米でこれからの将来を担っていく、若くて志ある優秀な人材の発掘と育成のため、少しでもお役に立てましたら幸いです。
尾島 巌教授
University Distinguished Professor
Stony Brook University – State University of New York
- 1968 東京大学理学部化学科 卒業
- 1970 東京大学理学系研究科化学専門課程修士課程 終了
- 1973 東京大学理学博士
- 1970 財団法人相模中央化学研究所入所、研究員、主任研究員
- 1983 ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校化学部に赴任, 准教授 (1983), 教授 (1984), Leading Professor (1991), University Distinguished Professor (1995). 化学部部長 (1997-2003). 所長, 化学生物・創薬研究所 (2003-). President, Stony Brook Chapter of the National Academy of Inventors. 理事長、ストーニーブルック日本センター.
- フェロー: National Academy of Inventors, John S. Guggenheim Foundation, American Association for Advancement of Science, New York Academy of Sciences, American Chemical Society.
- 主な受賞: Arthur C. Cope Scholar Award (1994), Emanuel B. Hershberg Award (2001), ACS Medicinal Chemistry Hall of Fame (2006), ACS Award for Creative Work in Fluorine Chemistry (2013) (American Chemical Society); 日本化学会賞 (1999).
私が東大理学部の化学教室で受けた教育の中でその後の人生・経歴に最も大きな影響を与えた事は先生方との接触で一貫して受けた「科学の原理と方法論に基づいていつも自分の頭で考え人まねをせず(出来れば前人未踏の)新しい境域を拓け」と云うメッセージでした。当時の化学教室では学部の3年、4年生を大人として扱いその代わりに責任と自覚を持たせると云う方針を取っていました。云わばライオンの子供たちを谷に落とし自力で登って来られる子たちだけを認めると云うものです。技術、技巧は達人から学ばなければなりませんが、独創的なアイデアは自分自身の頭からしか生まれないと云う考え方を学部卒業迄に自然に身に着けたと思います。大学院、博士論文では当たり前ですが、卒業研究でも自分自身のアイデアを大切にし指導教官の先生方との突っ込んだ議論を通して成長する事が出来ました。学生実験のレポートは全て英文でタイプして提出しましたが、担当教官の方々が丁寧に添削してアドバイスを下さいました。とても恵まれていたと思います。
学部、大学院を通して自分達はエリートで有り将来は日本の科学と技術の発展を先導して行く使命を持っていると云う自負を持っていましたが、さらに一歩進めて「社会が珍重する東大卒業生と云うレッテルでは無く、東大で培われた一人の人間としての能力で勝負するのが真の東大卒業生の誇りだ」と思っていました。これは私が独立した研究者になった時に明らかになりました。研究論文の発表を通して未だ会った事も無い世界各地の大学・研究機関の研究者と空間を超えて友人に成れたり、自分の研究の国際的な評価が国際会議や著作依頼で実感出来るのは科学研究者の醍醐味です。この事が36歳の時に米国の大学に終身雇用の教授として来ないかという勧誘が有った時に、海外勤務の経験が全く無いのに余り迷いもせずに挑戦する事にして、インタビューに応じ3つあった招聘の中からニューヨーク州立大学ストーニーブルック校を選ぶ事に繋がったと思っています。
米国では当然、米国の大学、大学院を卒業したか、博士研究員として働いた経歴が無いと大学の教授として活躍するのは非常に難しいのですが、私は幸い1983年に赴任して以来32年以上活発に研究・教育活動を続ける事が出来ています。化学部部長も6年(2期)務めましたし、化学生物・創薬研究所を設立して所長を務めています。私が在籍している化学部の教授(助教授、准教授、教授)には東海岸のIVYリーグ、中西部のシカゴ、ノースウエスタン、西海岸のスタンフォード、カリフォルニア工科、UCバークレー、UCLA等の大学院で博士号を取得したか、博士研究員として業績を挙げた経歴が無いと採用されませんが、私は唯一の例外です。「東大卒」の経歴は米国の大学では全く価値が認められていませんから、私の場合には研究論文の数と質、発明・特許、研究資金の獲得、フェロー任命等国内外学会での評価、大学、特に大学院での教育への寄与等を基に採用され昇進し、また米国化学会、日本化学会から複数の賞を受賞した事になります。ですから、上記した「真の東大卒業生の誇り」を懐の広い米国アカデミーで体現出来たと思っています。
米国の大学院では博士号授与式の折に「フデイング」と云う儀式が有りますが、指導教授は自身が博士号を得た大学のガウンとキャップを着けます。私は今までに私の研究室に在籍した65人の大学院生に「フデイング」を行いました。2006年までは東大のガウンが有りませんでしたのでNY州立大学のガウンを使用していましたが、その年東大のガウンが出来ましたので、それ以来毎年銀杏の紋章が付いている東大のガウンとキャップを着けています。米英のガウンのデザインと明らかに異なりユニークなので東大の良い宣伝になっています。
東大基金には2006年の第一回の募金(小宮山総長)の折に寄付を行い貢献会員になりました。また2009年の東大ホームカミングデイには東大学友会から招かれて参加しました。私は毎年秋に講演、コンサルティングの為帰国していますが、25年以上に亘って毎年東大理学部、薬学部、あるいは工学部で講演を行っています。また化学科昭和43年卒のクラス会もここ10年ほどは毎年参加しています。しかし、東大基金への寄付以後、しばらく寄付する機会が有りませんでした。幸い2013年のニューヨーク銀杏会の年次総会に参加した折に、FUTI理事長であられた小林久志先生にお目に係り、FUTIの活動、特に留学生奨学金の趣旨に賛同しましたので少額の寄付をその時から始めました。今年からは新理事長の山田雅章先生からの依頼でFUTI奨学金の審査委員を務め始め、またFUTI諮問委員としてもお手伝いする事になりました。
米国では慈善事業への寄付に免税措置が有りますので、私共も税申告を考慮して毎年数万ドルを教育、文化芸術、奨学金、学会、協会等々に寄付しています。FUTIの留学生奨学金には、なるべく多くの東大生に米国の大学、大学院で同世代の優れた学生達と触れ合って良い刺激を受けて欲しい、英語と日本語のバイリンガルになって英語で考え議論の折瞬時に対応できるようになって欲しい、そして将来的には世界を舞台にして活躍して欲しいと云う思いで寄付しています。