寄付者メッセージ:河原春郎、三浦宏一、大迫政子、渡邊泰秀

2012-2013 会計年度にFUTI にご寄付をされた皆様の中から数人の方々にメッセージをお願いいたしました。ご返事を下さった方々のメッセージをお名前の50音順でご紹介いたします。一人でも多くの読者が共感されて、2013-2014年度のキャンペーンにご協力頂ける事を期待しております。

Kawahara

河原春郎氏
JVCケンウッド株式会社
代表取締役、取締役会議長

Friends of UTokyoの皆様

この度、皆様にご挨拶する機会をいただき、大変嬉しく思います。私は、これまで、4つのアメリカの会社で働く機会がありました。最初は、25歳でニューヨークのEBASCO Service社、28歳でカリフォルニア州サンホゼのGeneral Electric社で、発電所の計算機システムのソフトウエアの設計、45歳でコネチカット州ハートフォードに設立した、東芝とジェットエンジンで世界一のPlat&Whitney of United Technologies Corporationとの合弁会社のCEOとして、燃料電池の開発商用化を行い、最後に東芝の現役退任後、ニューヨークの投資ファンドのRipplewood Holdingsで働きました。

この経験から、私は、まず自国と違う国を理解することが大切で、とりわけ、その国の人々の考え方、文化、価値観などを、その国の人たちとの会話や、四季を通じた生活体験から理解することから始まると感じました。ある時、幹部会議の中で、日本人幹部を見て「a fly on the wall」といってげらげら笑うのです。聞いて解ったことですが、「人に気付かれぬように静かに座って一部始終観察している人」のことをひやかして言ったのだそうで、英語解って意味不明というのを実感しました。

昨今日本の学生や若い人たちが、今の日常生活から違ったことに関心を持たない傾向があり、海外に行こうという人が大変少なくなって、アメリカの大学で学ぶ日本人が大変少なくなったと聞き、これが、日本を理解してもらう機会をなくし、国際的な活躍の機会をなくし、結果、国際貢献をする機会を減らして、日本の世界の中での存在感を弱め、産業競争力を弱め、国力を失っていっていると思います。私はいま74歳になりますが、我々の若い頃は、海外に行くのは費用が大変でしたが、なんとか英語を話せるようになろうと、必死でした。

そういうことを知るにつけ、Friends of UTokyo が進めておられる日本の学生や、若い人たちに海外経験をする機会を作るプログラムに大変賛同し、何かお役に立ちたいと考えたわけです。このプログラムがきっと次世代のリーダーたちを目覚めさせる機会を盛り上げるものと信じます。

ありがとうございました。


Miura三浦宏一氏
カリフォルニア州
NASA Ames 研究所 (2012年引退)
桑港赤門会会員

1965 年春ごろ、ふとしたきっかけで、アメリカの大学の大学院は、外国からの応募者にも経済的支援をくれるということを知りました。当時私は東芝の機械設計に関係した工場で優れた上司、仲間に恵まれ大型プロジェクトに満足して従事していました。けれども、充分な基礎資料もなしに色々な設計上の決定等をせねばならぬ問題も多くあって、機械屋としての実力が不十分だと認識していました。アメリカの大学院に応募し手見ようかという考えがこの頃から私の頭の中で芽生え始めました。当時、台頭してきたデジタル・コンピュータの使い方を学ぶ講習会に上司からの指図で出席する機会がありました。強力な道具としてのコンピュータの性能に接しびっくりしたものの、それを設計の仕事にどう使っていけるのか、見当もつきませんでした。コンピュータの工学設計への応用を勉強したい旨を ―果たして、はっきりと書けたかどうかわかりませんが― 応募用紙に書き、いくつかの大学に願書を送りました。

幸い私の願書がプリンストン大学のE. ダービン教授の目に留まり、1966年の秋から彼の研究室で大学院生として勉強を始めました。それからの5年間は ―最初の2年間はプリンストンで、次の3年間はクリーブランドのケース工科大学で― 猛烈に勉強しました。しかし私が博士論文を完成した1971年夏は、ベトナム戦争の終焉と、アポロ計画や超音速輸送機のような大型プロジェクトの修了などで象徴されたように、アメリカは非常に難しい時期のさなかでした。私自身はそのような状況にあることを充分に把握していませんでしたが、指導教授のL. シュミット教授が心配して下さり、ノルウェイ政府が提供するポストドク・フェローシップに応募するようにと助言して下さいました。それから一年半ノルウェイ工科大学で研究している間に、アメリカ経済も立ち直り、先生方や友人達の助けを借りて1973年の春にアメリカに戻ってくる機会を得て、最終的には1980年に米国航空宇宙局(NASA)のエイムズ研究センターで研究技術者として落ち着き、昨年夏に引退するまでそこに勤務しました。

今振り返って見ると、1966年に日本を出た時には想像も出来なかった途を歩んできました。色々な面で運に恵まれました。1961年卒業の東大機械工学科の同級生約60人は、皆優秀であり、且つそれに加えて、リーダーになる素質を持った人が何人もいて、やがては大会社の中でトップに近い役割を担ったり、また現在でも政界の一線で働いている友人もいます。このような人たちのうち何人かが、 若い時期に海外の大学院で学ぶ機会を得ていれば、その貴重な経験をその後の彼等のキャリアにも大いに生かすことができたのではないかと思います。何人かのクラスメートは就職後、独力で欧米の大学に留学しましたが、かなり少数にとどまりました。なにしろ当時は情報も海外を見る機会も不十分だったのです。

今日の学生達を取り巻く環境はまるっきり違います。インターネット、国際学会、図書室にあふれる論文誌などから、そして他国の学生達とのコンタクトなどからも、充分すぎるほどの情報が手軽に手に入る時代です。それでも、人生の重要な期間を日本国外で過ごすことは、簡単には決心出来ないでしょう。 これから飛び込んでいく世界に関する充分の知識と強い自信を持ち、様々なチャレンジを乗り越える心の準備が出来ていなければならない。それでも東大のなかには、最先端の研究に励み、世の中に大いに貢献したいという学生が多くいるに違いない。

FUTIの重要な役割の一つは東大生に将来の選択肢を広げるために、色々なオプションを提供し、アメリカの大学院で学びたいと考えている学生2は、より多くの機会を提供してあげることにあると思います。1960年代にFUTIのような組織が存在していたら、私はとても助かっただろうなと思います。 このような訳で、このようなユニークな活動を献身的なボランテイアの皆さんで立派に運営しておられるFUTIを支援したいと思います。


M Osako photo

大迫政子氏
さつき会アメリカ代表幹事
国際長寿センター・グローバルアライアンス(International Longevity Center Global Alliance) 事務局長

最初に背景をご説明しますが、私は東大3年の途中でHarvardに転校し、卒業の後、米国の大学で経営学修士、博士課程を終了しています。そのため、彼我の差を人一倍感じます。ハーバード卒業と前後して“Support Your Alma Mater: Please donate!”というメッセージを郵便と電話で受取りました。それ以来大学院生の時代は20ドル、社会人になりサラリーが増えるにしたがって金額が増え、三桁の寄付を何十年に亘り毎年してきました。「卒業生が母校をサポートしなければ誰がするの?」というアイビー・リーグ(Ivy League) 卒業生の間ではごく一般的な寄付文化にどっぷりとつかって、当たり前のこととして寄付をしてきたわけです。米国の有名校では40%から60%の卒業生が寄付をしていると報告されており、5%以下といわれている東大卒業生とは、大きな差があります。

FUTIは東大の国際化の支援を目標としており、奨学金などを付与することにより、将来グローバルリーダーになる素質も持った東大生をサポートしています。学問、部活動、社会活動などで卓越したリーダーシップの実績を持った学生は海外生活を早めに経験して、日本国内での成功を目指すだけでなく、自分の才能、経験を世界の諸問題の解決に使う決意のグローバルリーダーに成長してくれることを望んでいます。

東大国際化支援の一環として2013年夏に「さつき会アメリカはNY銀杏会と共催で東大生のNY体験活動プログラムを企画し12名の学生は企業、法律事務所、大学、病院、NGO, および国連などに勤務する卒業生などを訪問して、「米国での仕事とキャリア」について五日間にわたり話を聞きました。 英語が不得意、海外は初めて、剣道部所属という三年生は「今回の研修は学ぶことだらけで、自分の将来を真剣に考える貴重な機会となりました。海外の大学に行き、世界的な競争の枠組みの中に自分を置いてみたくなりました」と語り、FUTIからの奨学金に応募するとのことです。学生のために意義のある海外経験の機会を作ることは、グローバルリーダーの育成の第一歩です。皆様のご寄付はこれを可能にします。Support Your Alma Mater: Please donate!


Watanabe渡邉泰秀氏
長島・大野・常松法律事務所パートナー
Nagashima Ohno & Tsunematsu NY LLP パートナー
日本国・ニューヨーク州・カリフォルニア州弁護士
ニューヨーク銀杏会副理事長

日本で20年以上にわたり企業買収や独禁法を中心に国際企業法務に従事した後、私共の法律事務所のニューヨーク・オフィスを開設するため6年前に渡米(移住)をしました。現在は、本業の合間に、コロンビア・ロースクールの客員教授として日本の裁判例を題材に日米の法律制度やその背後にある法文化の違いを学ぶための演習を担当し、日本に興味を持つ若い学生達に接しています。学生達は総じて優秀で、将来は法律家に限らず、様々な分野でリーダーになる人もいることでしょう。日本に興味のある優秀な米国の学生達の一人でも多くが、奨学金を利用して東大で見聞の機会を得ることにより日本への理解を深めてくれ、また東大の学生達にも国際社会で活躍する大きな動機づけを与えてくれることを願いつつ、ささやかながらFUTIに寄付をしています。


ニューズレター第9号の記事: