岸岡駿一郎
編集部のまえがき:前号では松下重悳氏のメールマガジンの記事を転載させていただいたが、今回はシカゴ赤門会の名誉会長であり、Friends of UTokyo の諮問委員会のメンバーである岸岡駿一郎氏のブログ 「サバイバル時代」http://sksknowledgetosurvive.blogspot.com/2013/11/blog-post_9.htmlの中から教育と学習に関する同氏の大変興味深い記事を紹介させていただく。岸岡氏のプロフィールは欠きのリンクを参照されたし。https://www.friendsofutokyo.org/?page_id=108
日米の学びの差
世の中はその他大勢と同じでは生き残れないが、それが難しいのは教育のせいである。それは個人の能力の見分けをどうするかという点にある。私個人は「人は皆おなじで、能力が足りない人は努力の量が足りないからだ。だから勉強しなければ駄目だ」という教育を受け、永くそれを信じていた。日本では義務教育でもあり、大多数の平均値に達しないと本人が苦労するし、社会コストにもなるから教育する(教え授ける)という考えではないか。
しかし米国ではそういう考えは幼児期を除いてはないようだ(http://www.strategiesforchildren.org/eea/6research_summaries/05_MeaningfulDifferences.pdf)。
出来ないのは、自ら獲りに行かないからで、その人の潜在能力がそこまでだからで、覚える努力をするかどうかではない。放っておいても世間の風に晒されて生きていれば、必要なことは皆が身につけ学びそれなりに一人前になれるという。(*筆者ブログ;サバイバル時代・61項)
出来るものを選び、更に獲りにゆく人を探す教育者
米国では違う。それは上記の幼児期の詰め込みを除けば、並みの能力の人のレベルアップをする中で、誰がどういう面で優れた潜在能力をもって生まれてきたか、更に何かを獲りにゆきたい人かを見つける努力が教育者の側にある。
利根川進氏は「MITの場合、SATと呼ばれる進学適性試験や高校での成績、なによりいくつかの小論文と個人面談を重視します。面接官はMITを卒業して各界に活躍する人たちに依頼します。(略)大学としての特徴を維持するために、むしろ主観的な視点を重視しているそうです。研究のような創造的な仕事をする場合、試験で高得点をとる秀才が適しているとは限りません。かえってマイナス要因かも知れません」(日経2013年10月31日. アンダーラインは筆者による)と述べられる。これは大学の創造性に力点をおいたマーケッティングそのものだ。
一般の大学は基本のテスト、身体技能、エッセイの3種で人の持つ能力を測定する。演芸・音楽、体育、学習などのどこに才能があるかを探す。音楽に絞れば、歌唱力の声量・音質などから歌い手になるか、楽器の演奏が好きな子に、バイオリン、ギター、管楽器などを貸して使わせて、どれが上手かを試す。むろんそこには本人の希望もあり、訓練に耐えるだけの忍耐、親の応援・支援も伴う。それを出来るだけ早い時期に探す。レベルはプロとして職業として生きていけるかの判断だ。
オンラインの実習の方が早く到達できる
ブログ書評家のキリンさんは、特定の分野ながら巧くまとめておられる。かなりカットして紹介しますが、詳しくはブログを読んで下さい(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131101)。
「すでに10年近く前に梅田望夫さんが羽生善治三冠から聞いた話。簡単にいえば、インターネット学習が登場したため、初心者でもすぐに巧くなれる(ある地点までは、高速道路を走ってすぐに着ける)・多くの人がすぐ巧くなれるため、上級者間での競争は激化しており、そこから一歩抜け出すのはめちゃ大変になりつつある(高速道路の先は大渋滞してる)という話ですね。
上記は将棋の話でしたが、ポーカープロの木原さんも全く同じことを力説されていました。いわく若い人は、これまでの人より圧倒的に強くなっている。理由はオンラインでポーカーの練習、対戦ができるようになったから。オンライン対戦のほうが、カジノでのライブなゲームより圧倒的に効率良く学べる。なぜなら、
・カードを配ったりチップを動かす時間が不要なため、同じ練習時間で 3倍近いゲーム経験(=学び)が得られる、
・カジノまで行くためのコスト(時間&費用)が不要、(略)プレイデータをダウンロードして分析できるので、勝率分析や癖の補正、分析→仮説立案→実証といった研究が可能になり、学びのスピードが上がった。
つまり、“オフラインの学習環境”と “オンラインの学習環境”の競争力、というか、位置づけが、これからは大きく変わる。(略)(オンラインだけで勉強する人)のほうが、早く高い位置まで行ける時代になりつつある。これからは同じことが、一般的な勉強(学校学習)においても、技術修得においても、それ以外のいかなる職業訓練においても、起こり始めるだろうと思えてしまう。
これは説得力がある議論だが、将棋、囲碁、格闘ゲーム、カジノゲーム、みなルールと違反者を判定するレフリーがいる。
問題は、オンラインという高速道路で早く一定のレベルに達しても、そこから出る技がなければプロにはなれない場合は、どうするかである。これは受験地獄も同じで、市場での競争に何で差をつけるかである。
教育はどこまで探求の方向に向かえるか
リサーチ教育がグローバルにシアトリカルになりつつあるがTEDなどは好奇心を高める点で優れている (http://www.ted.com/talks?lang=ja)。ある分野への研究や教育投資のPRにより、一般からの投資を募る面でも必要性は高まる。だから、投資対象としての各学科の存続価値を競争(市場)の場におくという面でも、有効ではないかと考える。
文系のオンライン学習の参考資料として、ゲーム化が難しい極端なことをいえば、半沢直樹(日本で高視聴率を上げたTV番組) の銀行での融資条件や上司との関係を一定のストーリーにして、変更要素をオプション化すれば、ゲームにできるだろうか。 オンライン学習での選択肢に刑法・民法の詐欺・偽造・計画倒産などのオプションが選べるゲームを刑法・民法・商法などで各3種くらい作り教材にすれば理解度は高まり、早く相当のレベルに達する気もする(犯罪者の教科書にならぬよう逮捕率を高くすることは必要だろう)。
リスク対リワード、育った環境による価値観(正義感・倫理感・功利主義・公益感)、忍耐力・精神力・身体能力、性格の強弱などで、スッテップごとの選択肢の優先順位が変わってくるから、相当に複雑なゲームになることは間違いない。ビジネスで使うクリティカルパスの手法を取り込み、アニメ化してみたらどうか、ゲーム脚本のミスや見落としはヴァージョンアップすればよい。法学部の関係者のご意見を聞きたいものである。