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Friends of UTokyo, Inc.

東京大学物理工学科 3年(休学)伏尾理久斗 2026/02/07

 東京大学物理工学科3年の伏尾理久斗と申します。この報告書では、2025年の2月上旬から12月末にかけて私がハーバード大学の物理学科のPhilip Kim教授の下で行った研究留学について記します。この留学はFriends of UTokyo, Inc.様の支援なしでは実現し得なかったものであり、この場をお借りしてまず初めに感謝の意を表明させていただきたく思います。

【留学の概要について】

 私のこの留学は交換留学といったような正規留学とは異なり、単位の出ない研究留学であり、公益財団法人中谷財団による3ヶ月間のAdvanced Research Intenship Programを、Friends of UTokyo, Inc.様の支援によって8ヶ月間程度延長することによって、1年間滞在することができた、というものです。それに伴って2年生の終わりから1年間休学し、この報告書執筆時点での約2ヶ月後に改めて3年生として復学するといった形です。この研究留学では、Philip Kim教授という、グラフェンや量子ホール効果の研究で世界的にトップの教授と、凝縮物性物理学の理論研究で名を馳せた、Wolf Prize等も受賞しているHarvard大学のEmeritus(名誉教授)のBertrand Halperin教授の二人にお世話になるという、学部生の1年間の研究留学ではあり得ないほど恵まれた環境で1年間を過ごすことができました。この1年間は、毎年更新しているような気もしますが、これまで生きてきた21年間の中で最も濃密な1年で、非常に多くの学び、楽しみ、苦しみももちろんあった上で、言葉にはならない、あるいは今後なっていくであろう膨大な学びの数々がありました。Harvardをはじめとした世界のトップの大学院で物理をやっていくとはどういうことか、そしてそこにとどまらず、その先に物理で世界的に価値ある仕事を行うということはどういうことか。そしてそこに行くためには、日々の生活にどのように還元していくべきなのかなど、明確な内的な世界観、ひいては覚悟ができました。つまり、それを完成させるのにあと10年、すなわち学部卒業までの約2年、もう一度あのような場所へ行って過ごす6~7年、ポスドクとしての2~3年を捧げるという、その後に内から外へ転じていくための長いようで短い、あるいは必要十分な期間を私の人生の中に設ける覚悟が決まりました。言葉としてはそれほど一年前と変わっていないにせよ、一方でこの一年がなければこのような感性の磨かれ方がなされていないのは明白で、世界観の構築のされ方は非連続であり、このようにしてふと振り返った瞬間にこのように感じることのできる一年を、今後の10年もあと10回積み上げていければと思っています。そしてその先は、私がめざす世界のあり方および、私自身のあり方をうまく構築・表現していけるように、魂を燃やしていく所存です。

【研究留学の生活について】

 この留学は研究留学であったため、出席する必要がある授業は存在せず、1日の生活は大学院生と全く同じで、朝起きて9時くらいに研究室にいき実験や計算をしたり、同僚や教授とディスカッションをしたりして、夜遅くまで研究するという日々が1年間繰り返され続けていました。私が所属していた研究室は、米国では珍しくない大きさではありますが、大学院生が12人程度、ポスドクが6人程度の研究室で、研究室の中にサブグループが4~5個存在しており、各学生はそのサブグループに1~2個所属し、その中では学生は同じような方向性のテーマで研究し、そのサブグループごとのミーティングがあり、協力して研究を進めています。私もそのうちの一つに所属し、留学に行った段階では院生が3名おり、その人たちに実験方法を教えてもらったりと、協力して研究を進めていました。

 私は後述の「分数量子ホール効果」に関する実験のサブグループに所属していました。そのサブグループでは、stackingと呼ばれる、grapheneをはじめとしたファンデルワールス物質という数十nmの薄さで数十µmの広さがある二次元物質を積層する工程に始まり、それをcleanroomと呼ばれる埃等が存在しない防護服を着て入るような場所に持っていき、数十nmスケールで電子ビーム等を用いて加工するというnano-fabricationという工程でデバイスを作成します。次に、それを希釈冷凍機に入れて絶対零度近い数十mKまで冷やした上に10T前後の高磁場をかけた状態で測定し、そのデータを解析、その意味を解釈する、というようなプロセスで研究が行われていきます。最初のstackingの過程が約全体で1週間弱、nano-fabricaitonの過程が2〜4週間程度、その後の測定が約2〜3ヶ月ほどと、実験の一周のループが長い研究です。そのうち、1箇所でもミスがあれば最初からやり直しという、condensed matter physicsの実験の中でも群を抜いて厳しい条件の研究でした。その分、見ることができる電子の挙動は非常にexoticで(物理が専門でない人に向けて概要を後述してあるので興味がある方は読んでください)、新しいことが発見されればそれのほとんどがnature や scienceといったトップジャーナルに論文が載るという、ある意味ではハイリスクハイリターンな研究と言えるかもしれません。

 私はこのようなサブグループに所属させてもらい、実験に関してはstackingの過程は独立に行い、nano-fabrication以降は(上述の通り一つのミスの代償が私の1年間に対して大きすぎるので)他の学生と一緒に行っていました。それに加えて、留学開始から約2ヶ月経ったあたりから数値計算の研究も行うようになりました。これの必要性はこの実験の性質からくるものなのですが、抽象的に語ると、測定可能なパラメータがほとんど一つしかないのに対して、依存するパラメータの数が膨大で、それらが相互に作用しあっているので、実際に起きている現象を解釈するのに複数のシナリオが想定され、それを理解するためにはモデルを立てて完全再現は不可能でも部分的に数値計算によって得られた結果が最もらしいかどうかによって、そのモデルの是非を議論したい、といったような理由です。このような背景で、Kim教授から君数値計算やってみない?と提案を受け、当時数値計算のバックグラウンドはほとんどなかったもののスタートすることにしました。そして、それが段々と形になっていき、おおよそ2~3ヶ月経ったあたりから使い物になるようになってきたため、細かい部分を議論するべく、Kim教授が理論系の研究室にいる博士課程の学生に繋いで頂けることになりました。また、元々この実験が理論的にも興味深いものであるため、サブグループ自体が、理論の教授である上述のHalperin教授とも頻繁に話しており、上述の博士課程の学生だけでなくHalperin教授とも平均を取れば月1,2回ほど話して頂けることになりました。

 このように、実験と理論の両方に関わることができる上、Kim教授やHalperin教授とも頻繁にdiscussionできるという環境に最終的にはなり、そこからの楽しさであったり、成長速度がどんどん加速していく感じがあったりと、最後の2、3ヶ月は特に非常に充実した日々になっていきました。最終的には、私がデバイス作成の一部分を担当し、数値計算を用いた理論的なdiscussionを多く行った実験が、後1~2ヶ月程度で論文という形でまとまりそうであり、最終段階に入っているところです。共著である上、この研究の多くの部分を私が担当しているとは全く言えないものであり、もっと上手くやれた可能性もあったのではないかという悔しさも若干ありますが、それは今後既に始めている東大の学部での研究に活かすことにして、最低限関わったものが形になったという点において非常に嬉しく思っています。また、その実験の解釈に使用した数値計算もまた単体で十分に面白いものであるため、さらに理論研究なのでオンラインでも続行可能なので、今後1年間はハーバードのaffiliationを延長してもらう許可が降りたため、その研究は単体で続けて、上手くいけば主著という形で論文にしたいと思っているため、それに向けて学部の研究と並行することにはなりますが尽力したいと思っています。

【研究の概要について】

(この概要は専門分野が物理でない人を想定しています。)

私が行っていた研究は、

 「平面に住んでいる魚が、おとぎばなしのスイミーのように、集団で大きな魚を作ったりする時に、それがどんな魚で、どんなダンスを踊ってるか」

を調べているようなもので、そのダンスを上手く使えば「量子コンピュータ」を作ることができる、といった通称「分数量子ホール効果」と呼ばれるものを扱う研究でした。上記の比喩がどのように物理に対応しているのかに関して、以下で解説していきます。

 まず、「平面に住んでいる」というところが大事で、この平面には多くの種類があり、そのうちの一つに、鉛筆の芯の一部を使う、という方法があります。鉛筆の芯が炭素でできていると聞いたことがある人は多くいると思いますが、この炭素は、例えばダイヤモンドのように硬くはなく、現に私たちは鉛筆で文字を書こうとすると、鉛筆の芯の一部が剥がれて、紙に接着するように、脆いものです。このようになっているのは、炭素が正六角形のタイルを平面上に敷き詰めた時にその頂点に来るように並んでシート上の物質を形成しており、その平面が何層にも重なってできたものが鉛筆の芯であるからであり、文字を書く時にはそのシートが何枚か剥がれて紙にくっ付きます。話を戻すと、このうちの一枚のシートがグラフェン(graphene)と呼ばれており、これは上述の通り原子一つ分であるため、二次元、すなわち「平面」になります。

 そして次に、この「平面」を舞台としてそこに住んでいる「魚」は物理では「電子(e)」に対応します。この電子は先ほどのgraphene上に束縛されることになるため、2次元平面以外のところにいくことはできず、動きがその平面内に制限されます。そして、その電子はもちろん一つだけではなく、一枚の中とはいえ、とてつもない数の電子がそこには存在しています。そして、普段はその「魚」は激しく飛び回っているため、他の電子の存在をそれほど気にしていないのですが、絶対零度近い極低温にまで冷やすと、動きが鈍くなることによって他の電子の存在が自分自身の動きに影響し始め、最終的には一人で踊るよりもそちらの方が都合が良くなり、電子同士が手を繋いで踊り始めます。これを物理の言葉では多体現象とよび、そこには非常に面白い物理がたくさんあります。

 これがさらに低温になっていくと、上述のスイミーのような、集団としての大きな魚のような挙動を生み始めます。ここで、平面であったことが一つ重要な意味を持ち、それは以下のような比喩で理解できる部分があります。一度大量の電子の存在は忘れて、二人の電子が手を繋いで、片方の電子がその場である方向を向いたまま立ち止まり、もう片方の電子がその電子の周りを回るのを想像してみてください。すると、止まっている方の電子の手が自分の体に巻き付いて苦しそうな状況が想像できると思います。すなわち、これが物理的に何を意味しているかというと、動きを平面に束縛すれば、ある電子が他の電子の周りを回った時に、それが何もしなかった時に比べて意味を持つようになる(手が巻き付いた)、ということです。逆に、3次元の動きが許されていれば、適当に頭の上を腕を通すことで、その固定された電子の腕の巻きつきを解除できるところを想像できると思います。このように、二次元上に電子が住んでいることによって、その電子同士が踊れるダンスの「ルール」が制限されます。

 このルールが存在することによって、そのダンスが生み出す大きな魚が、3次元空間に住むそれに比べて不思議な性質を持つことが許されるようになり、そのうちの一つにその大きな魚が、分数電荷、すなわちeではなくe/3などでできているように見える、といったものがあり、これが「分数量子ホール効果」と私が最初に述べたものです。この分数さ、を正確に理解するにはとてつもない勉強量が必要になりますが、イメージで理解できる部分もあります。先ほどの各電子が手を繋ぎながら踊っているのですが、その集団挙動である巨大な魚がブレイクダンスをし始める瞬間を我々は基本的に観測しており、その瞬間にはそのブレイクダンスを踊っているスペースが、普通の電子が普通のダンスを踊っているスペースに比べて、3倍あり、私たちは一つのスペースあたり、で物事を判断するしかないので、実質e/3に見える、といったものです。(巨大だから3倍、というわけでは決してなく、ここでは比喩表現の限界による誤謬があります)

 このように、電子が手を繋いで踊ると巨大な魚が見える、といった現象を、創発現象(emergent phenomena)と一般によび、一つ一つの魚の動きはあまり意味を持っているように見えないけれども、それが集団となって動くことによって、その一つ一つの動きからは想像がつかないような、集団の動きが現れてくる、ということを意味します。これは物理に限った話ではなくて、近年使われているようなChatGPTもまた、非常に多くのデータを学習させることで、創発的にあのような現象が生まれている、と解釈することも可能です。

 そして上述のように、この分数量子ホール効果を量子コンピュータに将来使用することも可能で、具体的にはその巨大な魚がマグロなのか、カツオなのかによってビットを表現することによって、マグロとカツオを重ね合わせることで量子ビットを作るといった方法です。このようにすることによって、各電子(魚)がどこにいるのか、というミクロな情報は重要ではなくなり、集団の挙動がマグロなのかカツオなのかだけが重要になってきます。すると、例えば外側から多少攻撃されて、マグロが少々凹んだとしても、急激にマグロだったのかカツオだったのかわからないような状態になってしまうような激しい攻撃でないのであれば、そのビットの情報は保存される、という利点があります。これは数学の言葉ではトポロジカルに情報が保護されているといい、情報がマクロになっている(マグロになっている)ため、外側からの攻撃に対して弱い量子的な性質を上手く保護することができ、将来有望な量子コンピュータのプラットフォームの一つになっています。

【最後に】

 この研究留学では、上記のメイン部分で書くことができなかったたくさんの学びや経験もありました。例えば私にとって2ヶ月以上の海外生活は初めてで、最初の教授との繋がり以外の全ては0から立ち上げる必要があったため、この経験は今後何度も海外生活を経験することになるため、確実に役立つものとなりました。また、ボストンで多くの人と知り合うことができ、その人たちから聞く話は、モチベーションの源泉になりました。他にも、環境とやることがそれであるが故に自分を助けられるのが自分しかいない環境で、どのようにして自分の精神をコントロールするか、という術も大いに身についたので、これもまた今後に多く活きる経験だと思います。

 最後に、このようにあまりに恵まれた研究留学の実現は、私を受け入れてくださったPhilip Kim教授をはじめとした研究室の皆様、この留学を支援してくださった Friends of UTokyo, Inc.様をはじめとして、私を支えてくれた家族、友人の支えによるものです。改めて感謝申し上げます。今後も物理学の研究に邁進していくことを宣言して、この報告書の結びといたします。

FUTI中間報告書

東京大学物理工学科 3年(休学)伏尾理久斗 2025/9/28

 ハーバード大学への研究留学も半年以上が経過し、残すところ3ヶ月となりました。この報告書には、これまでの半年間の学び、感じたこと、将来への糧となるもの、そして残りの3ヶ月の抱負等について記載したいと思います。

 私が実際に日々行っていることは、物理の研究・勉強。この一つに尽きます。具体的な研究内容やその成果等に関しては、最終報告書に譲ることとして、ここではこれまでの経験がどのような意味を持ち、そして帯び始めているのかについて、書きたいと思います。非常に多くのものがありますが、その中でも特筆して重要なものとしては、

「今後、物理を好きな状態で続けていくためにはこの留学は私にとって必要不可欠だった」

ということです。以下では、この部分に着目しつつ、私がどのようにこれまでの約半年間を歩んできたのかについて具体的に記載したいと思います。

 私がこのハーバードでの研究留学を行おうと心に決めたのは2024年の夏、すなわち2年生の夏の段階でした。その段階ではもちろん専門課程の勉強も始まっておらず、物理の理解は高校生に毛が生えた程度であり、その後ほとんど行くことが確定してから割けるだけの時間を割いて準備をしたものの、それの意味するところにはよりますが、もちろん間に合うはずがありませんでした。もちろん主体的に研究ができるようになるほど、ですらなければ、結局ハーバードに来た後も、議論についていくことすらままならないほどのものであり、最初の2,3か月間は英語がわからないのか物理がわからないのかすらわからず、完全に右往左往しているような状態でした。一方で日本の方に目をやると、例えばCSの同年代の学生が主著で論文を出していたり、起業して大企業とプロジェクトをしている学生がいたり、あるいは同じ物理の学生でも自分より進んだ最先端に近い勉強をしているように見えたりと、常に隣の芝生はあまりに青く見えていました。それに比べて自分は、こっちになんとかチャンスをいただいて渡米してこれたのはいいものの、ミーティングでも発言できなければ、手を動かして実験の手伝いをしているだけで、何をやっているんだろうと文字通り日々悩み続けている生活でした。そうこうしているうちに3ヶ月が過ぎ、FUTI奨学金に支援していただく前に支援していただいていた財団の成果報告会のために一時帰国し、その後こちらに戻ってきてもなお、日々の生活は通常通り続いていくものの、心が晴れない日々が続きました。と、ここで転機が訪れます、というのがあれば、いかにも留学の報告書という感じにはなりますが、残念ながら私の留学に(少なくとも今のところ)「明確なターニングポイント」というものは存在しませんでした。もし誰かと出会って、あるいは何かの言葉に触れたり、あるいは天啓のようなひらめきの元に急激に視界が開けた、という話なら良かったのですが、こちらでいろんな人に会ったり、日本の友人らに相談したりしましたが、そのようなことはありませんでした。しかしながら、本当に徐々に、一時帰国から戻ってきて2ヶ月が経過した7月の中旬あたりから「あれ、ミーティングで何が話されているのかがわかるかもしれない」「ちょっと自分からでもアイデアの面でも貢献できるかもしれない」「コミュニケーションをうまく取れる場面が増えてきた」という瞬間が微増し始め、嬉しいことにそれの増加が止まることはここまでの2ヶ月間くらいありませんでした。そして、私の今年の目標が「没頭」だったのですが、それが初めて観測されたのは8月18日、そして明確に(本当に小さいものではありますが)貢献できたと明確に感じられたのは、元に留学開始から半年以上が経過した8月20日でした。その辺りを境にして、自分で何をすべきかを考え研究に取り組み、その成果を各週ごとのサブグループのミーティングで発表し、そこでフィードバックをもらって進め、またそれ以外の時間にも自分から議論を持っていき、アイデア面でも手を動かす面でも貢献することができるポジティブな循環が起こるようになり始めて、そして今に至ります。

 では結局、私を何が助けてくれたのか。

 それは、すごく単純なことではありますが、「積み重ね」でした。

 明確な転機が存在してはいませんでしたが、幅があるとも表現できるような閾値を徐々に超えていくような感覚はそのあたりでずっと存在しており、研究留学を始める前から本当に日々、小さく積み重ねてきたことが積もり積もってのみ、ちょっとずつ貢献ができるようになり始めるということでしかありませんでした。日々10%も理解できていないような論文を読み、わからないところを聞きに行き、抜けている基礎的な部分の勉強も傍で積み上げ、英語も正直ままならない上、物理の理解も足りないけれどもとりあえず行ったことをミーティングで発表してみる、と言ったことの繰り返しで、前に少しずつ進んでいたのだと思います。このようにして、9月末現在においては、私は最後までこの研究留学を完走するためのアクセルのペダルを少し踏み込むことができ、後はこのペダルを緩めずより強く踏み込むことに集中したいと思っています。

 さて、ここからは、ではなぜ隣の芝生は青く見え、私のような人間は「没頭」したくてもできるまでに時間がかかり、明確な転機は大体無くて、積み重ねが大体助けてくれるのか、そして最後に、それがなぜ「物理を好きでいられること」につながるのかに関して述べておきたいと思います。それは、気づけばすごく単純な話ですが、体得するのは難しい、「時間がかかるものには時間がかかり、その長さは私の、そして世界の時間の掛け方、かかり方がそれぞれに異なっている」というだけの事実でした。私がたまたま興味を持った量子物理学、という分野は今年100周年を迎えるほど、中々に高齢の分野で、量子物理学というだけでは何も言っていないのと同じくらいに広範な分野なので、その中にもばらつきは多く存在しています。少なくとも私が今関わっている凝縮物性物理学の低次元物理で、分数量子ホール効果と呼ばれるものは、控えめに言っても最先端に到達するまでに学ばなくてはならないことは極めて膨大です。私がアイデアを出すことが少しずつでき始めている、と上述したことは、私にとっては嬉しいことではありますが、それはこの分野にとって本質的なそれではまだ決してなくて、創発性から生じるこの分野は単純には手に負えないためある種の自然との格闘であるため、そのような意味での新しく本質的なアイデアを出したり実験を改善しようと思うと、かなりの広範かつ深い習熟度が必要だと思われます。このように、物理学に限らず、科学というものは、進んでいくものであるという性質上、月日が流れるほど、それに携わりたいと願う学生が学ばなくてはならない量というものは増えていくものです。これに必要な量というのは分野によって異なっているのは当たり前のことで、さらに科学は進歩しているのに制度はそのままなので、到底学部の4年間でその面白さが本当の意味で気づくことができるような範囲内に収まっていない分野は山のようにある、そしてさらに増えてくるものだと思います。また、必要な学ぶ量がもし仮に100あるのだとしたら、その人がそれまでに30やってきたのか70やってきたのかによって残り必要な量は異なるということです。したがってこれを乗り越えるためには結局積み重ねることしか越える方法は存在しないし、さらに、その積み重ねがままならない状態においては、四六時中考え続ける(没頭)は苦行でしかないので、それをしたいと思ってもそれができるようになるまでには時間がかかる、ということです。一方で、このようなことを考える必要がなくても、好奇心の赴くままに科学自体を楽しんでいけるという人もいると思われます。しかし、私は残念ながらそれそのものに興奮できるようにはできていなくて、どちらかというと、それが理解「できれば」どんなことができるんだろう、どんなものが作れるんだろう、世界はどう変わるんだろう、と言った、端的には応用よりのものに興味があるタイプでした。(今もほとんどそうです。(最終報告書の段階においても結局そうです))このような心の構造を持っている場合、その科学の最終応用に興味があるが故にそこまでのステップに必要であることを行うのがある種苦行に感じる場合があると思われます。また、最終目標を到達した後に振り返ればその必要性は明白でも、逆算で物事を考える段階においてはその必要性に気づくことができないような部分に関して興味を持つこと自体が構造上難しかったりすることもあると思われます。

だからこそ、このような私と世界の現状を一言でまとめ上げるとするなら、

「何かを愛すには、その何かの大きさほどに、費やす時間が必要だった」

ということだと思います。私がもしこの留学に来ていなければ、本当の意味で、すなわちその応用のみではなく、それそのものの物理が改めて好きになることはなかっただろうし、結局その応用に楽しみを見出せるのみで、迫り来る授業や将来に向けた選択を前にして、最短経路を選択しようとする近視眼的な時間の使い方に終始していた可能性が極めて高かったと思われます。逆に、今回まだ3ヶ月残っていますが、このようにこの場で研究留学ができているからこそ、今回関わっている研究を理解しようと、隅から隅まで勉強しよう、一見関係のないところも含めて改めてきちんと基礎を固めよう、といった姿勢で学び、そしてそれがだんだんと楽しみへと変わっていくような感覚を得ることができつつあるからこそ、もちろん上述の応用の最終段階への興味は尽きませんが、それと同時に今回からは、その道中をも苦行と感じることなく楽しむことができているがゆえに、心の底から物理を楽しめているのだと思います。そして、これは次回の報告書で記載しますが、再びこの場にPhDで戻ってくることが今後の2年間の目標では無くなり、戻ってくることは前提の上で、この場で楽しみながら活躍できるようになりたいというのが今後の2年間の目標となりました。

このように、今回の中間報告書では、私がどのようにしてこの留学を乗り切ろうとしているのかに注力して書かせていただきました。次回の最終報告書では、より具体的なところ、すなわちその研究内容や、将来への抱負等も含め、さらに具体的な成果としての報告ができるように、残りの3ヶ月間は、上述の積み重ねを続けつつ、日々精進していこうと思います。

最後に、この留学を支援して下さっている、米国伊藤財団様および、東大友の会様には深く感謝申し上げます。

伏尾理久斗