by Yusuke Takahashi
2019 M4
4 月 23 日 -6 月 15 日 Harvard 大学
§1 はじめに
2019年4月から6月までの7週間、米国ボストン・ハーバード大学および関連病院での 研究留学を経験する機会をいただきました。このような長期間の海外滞在は私ははじめてで、様々な面でたくさんの方々のご支援をいただきながら、大変有意義な7週間を過ごすことができました。
本留学は東京大学ニューロインテリジェンス機構(以後IRCN)の方々に生活面に至るまでご支援いただき、私が個人として行った準備は結果的にそこまで多くありませんでしたので、具体的な面は他の皆様の優れた報告書をご参照いただければと思います。一方で、私にとって本留学は米国のアカデミアのフィールドワークとしての意義が大きいものとなりました。従いまして、本レポートでは具体的な準備面よりは、エレクラの期間を使って海外で研究を経験する意義などに力点を置いて、私の主観的な体験を元に述べたいと思います。
研究留学を検討している方、エレクラ期間の全般的な過ごし方に悩んでおられる方、ボストンで関心のある研究室がないか探している方など、少しでもお力になれそうな方がいらっしゃれば、気軽に国際交流室の皆様、もしくは私の学年の誰かを通じて私までご連絡いただけますと幸いです。2019年にHensch先生の研究室を訪問したM4学生、といえば一意に定まると思います。
§2 準備
私は、ケアの臨床実践における社会・文化的背景の関与と語り(このような学問分野は臨床現場のフィールドワークから立ち上がったもので、医療人類学と呼ばれています)にかねてより関心があり、後述するArthur Kleinman先生らのもとで勉強・研究体験ができないか、日頃お世話になっている先生方とご相談しつつM2の2月ごろより検討を進めておりました。しかし、エレクラで与えられている期間は数ヶ月と限られておりフィールドワークには向かないこと、日本の一医学生が参加できそうな枠がないこと、渡米可能な期間(M3夏の時点で4月半ばと6月後半にそれぞれ学会での発表予定が入っており、海外にはその間の二ヶ月強しかいられませんでした)がちょうど米国の学期末であり、コースワークに参加することが難しそうなことなどから諦めていました。一方、海外で臨床実習をするつもりは当時はなく、M3の9月に行われた海外実習の面接には参加しませんでした。そこで、9月から11月頃までは国内の僻地医療のフィールドワークの計画を練っておりました。そのような矢先、11月半ばに、今回の留学のお話がUTASで回ってきました。
今回のプログラムは、2017年10月に創立した新しい機構であるIRCNおよび医学部・ 医学系研究科国際交流室が手配してくださったものです。 11月末までに応募用紙を提出しました。なお、応募書類は事前に日頃よりTuesday Lunchなどでお世話になっております国際交流室のChristopher Holmes先生に英語面のチェックをお願いし、快く校正していただきました。その後12月頭に学内面接があり、初年度となる本年は4名が選抜され、その一人として選んでいただきました。その後IRCN機構長であるHensch先生との面談が12月半ばにあり、2月半ばに許可のご連絡がありました。
【CV, personal statementを書こう】
11月に提出した応募用紙ではハーバード大学内の興味のある研究室のほか、英語試験の点数、過去の研究実績(publication,学会発表)およびpersonal statement(応募動機、研究計画など)を記載する欄がありました。学内面接での選抜では、学科の点数(基礎医学と臨床医学の主要科目とCBT共通試験の点数)、応募書類、英語面接の点数及び日本語面接の点数1:1:1で評価いただきました。
私にとっては、本プログラムへの応募に伴いM3の年末のタイミングでCV, personal statementを英語でまとめたことがその後様々な場面で非常に役に立ちました。自らがどのような医学部生活を送ってきたのかを振り返ることができたと同時に、その時点でやりたいこと、知らないこと、勉強したいことを熟考し、言語化することができました。このような機会は、他学部の学生には就職活動や大学院進学の選択の際に与えられていると思いますが、医学部では殆どないと思います。また、ここでまとめた将来の展望は、現地で様々な研究室にお邪魔するアポイントメントを取る際にコミュニケーションを取る上でも活用できました。
従って、IRCN経由ではなく個人で留学をする場合にも(研究でも臨床でも)、A41枚程度で興味のあること、研究したいことと今までの経験をまとめておくと良いと思います。その際、今までの研究実績(その有無も含め)とこれからやりたいこととの間に一貫性・ストーリーがある必要は必ずしもありません。私はどちらかというと行き当たりばったりで大学生活を送ってきており、一貫したストーリーとして自らの大学生活をアピールする作業が苦手で、長期的な計画に則って着実に様々なプロジェクトを進めている友人に対してコンプレックスがあり、自己アピールが必要な場面を敬遠してきてしまいました。しかしながら、現地の研究者は、基本的には、きちんとした流れに沿ったサイエンスができるか、より広く言えば自分の頭で物事をまとめ考えることができるかの基本的な能力があるかどうかを判断しているようで、6年間の一貫性と言うよりも、むしろ一つ一つのプロジェクトにどのように主体的に関与してきたかが問われるように思い、励まされるところが大きかったです。
IRCNからは往復航空券分をご負担いただいたと同時に、個々人の興味と希望に合わせて大まかな滞在先の研究室をHensch先生に斡旋いただき、また教授秘書のGiselle様のご 尽力で現地で滞在する宿泊施設もご手配いただきました。ボストンは比較的地価が高く、手の届く値段での滞在先を確保することが難しかったため、大変助かりました。
奨学金は、大坪修・鉄門フェローシップより、また東京大学友の会(Friends of UTokyo: FUTI)より生活費の補助を頂きました。後日、FUTI関係の皆様には、帰国後の成果報告会にお越しいただき、激励いただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。
§3 実習前
4月頭にはエレクラの一環として、国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター(堀越勝先生・平林直次先生)ならびに東日本矯正医療センター/東日本少年矯正医療・教育センター(関口陽介先生)にて司法精神医学の実習の機会を頂戴いたしました。思春期の脳発達に関する分子・細胞レベルからのtranslational approachを学びたいというモチベーションで留学を申し込みましたが、個人的には社会的なアプローチにも関心を持っていたこと、米国と日本との臨床の状況の違いを把握しておきたかったことから、様々な規制もあるなか無理を言ってお手続きいただき、お願いいたしました。コーディネートしてくださった関口先生と教務係の方々にこの場を借りて御礼申し上げます。
これらの施設では、医療観察法病棟の見学や、認知行動療法外来の見学をさせていただき、社会的に困難な状況に置かれている方々に対する面接の基本的な態度を教えていただきました。アメリカで様々な方々と話していると、メンタルヘルスに関心のある層は社会的な文脈に関心が強く、薬物依存や犯罪に対してどなたも何かしらの自分の意見を持っているように感じました。日本における司法精神の状況を見学したことは彼らと会話する上で大変役に立ちました。
ボストン滞在の一週間前には、乗り継ぎも兼ねてカリフォルニア州バークレーに友人を頼って滞在し、UC Berkeley・UCSF の見学も行いました。UCSF では鉄門の先輩にお話を伺う機会も頂戴いたしました。おおまかにではありますが西海岸の研究文化を知ることができ、相対化して東海岸のアカデミアを見ることができた点で有意義でした。
§4 研究生活
Hensch先生に組んでいただいたプログラムは、3つの研究室(Hensch/Fagiolini lab, Umemori lab, Ongur lab)のlab rotationでした。12月半ばの面談で、基礎と臨床の橋渡し研究の文化を学びたいという点を強調してお伝えしていたので、分子・細胞レベルから臨床レベルまでの研究を、各分野を代表するような研究室を回ることで、ある程度主体的に体験することができるように組んでくださったのは非常に有難かったです。
一方で、何かのプロジェクトに数ヶ月単位と短くても主体的に関わりたいと考えている方 は、違う形が良いと思います。研究室の一員として何かしらの研究にコミットできる立場を築くことはローテーションだと困難でした。また、動物実験を行いたいと考えている方は、同じ2019年に研究留学した同期の報告書にあるように、VISAや実験講習のハードルがあり、注意が必要ですので、ご確認ください。
①Hensch/Fagiolini lab (Harvard University, Department of Molecular and Cellular Biology・Center for Brain Science / Boston Children’s Hospital, F.M. Kirby Neurobiology Center)
臨界期の脳神経回路の発達について分子レベルから重要な成果を挙げてきた研究室です。 Hensch 先生と奥様の Fagiolini 先生が、Harvard University(理学系)と Boston Children’s Hospital(以後 BCH, 全米随一の小児病院)にてそれぞれ基礎寄り、臨床寄り(Rett症候群や自閉症など)の研究を展開されていました。 私は毎週のミーティングに参加し議論するほか、前者にてマウスの脳波解析をMatlabで 行い、後者にていくつかの臨床研究の見学の機会を頂きました。加えて、Center for Developing Child の一般家庭向け啓蒙ビデオの日本語版の作成にも関わらせていただきました。
Hensch先生には、研究面だけでなく生活面においてもバックアップしていただきました。2019年度の本学大学院入学式で式辞を述べられていらっしゃいますが、先生ご自身もハーバードをご卒業の後、23,24歳時に昨年お亡くなりになった伊藤正男先生のもとにご留学された経験をお持ちで、同じ世代の若者が海外の経験を積むことを心から応援してくださいました。様々な事を教えていただきましたが、海外留学の中で新たな文化を知り、新たな知識を得ることも大事だけれど、最も重要なことはそこで自分自身を知ることだ、という先生の言葉は特に胸にしみました。
②Umemori lab (BCH)
脳神経回路の発生に関わるmolecular cueを報告し、それらについて疾患との関係性ま で深めている研究室です。私は大学院生の教育を体験してみようという試みで、一からResearch Questionを設定しResearch Proposalを作り上げる過程を一部ではありますが経験させていただきました。一度ミーティングで研究室の皆さんのまえで発表し、2時間ほど議論する機会を頂きました。関連する研究室に自らの仮説を携えてアポイントメントを取り、議論を行い、仮説をブラッシュアップさせるとともに実現可能性のある実験計画を立てていく過程は大変勉強になりました。
PIである鉄門卒の梅森久視先生には、サイエンスからキャリア設計に至るまで幅広く、長時間相談に乗っていただきました。研究室で過ごすことのできた時間はそこまで長くありませんでしたが、大変励ましていただきました。
③ Ongur lab (McLean Hospital)
Psychosis(双極性障害、統合失調症、統合失調感情障害など)の患者さんに対して、主に 画像(MR Spectroscopy)からアプローチしている研究室です。PIのDost Öngür先生はJAMA Psychiatry の editor-in-chief です。 私は1週間滞在し、数名の患者のintake interviewに同席させていただきました。また、病棟もありましたので、そちらのカンファレンスにも参加する機会を頂きました。病棟カンファレンスには患者さんも参加されていたことが大変印象的でした。また、MGH/McLean の精神科レジデントの採用担当の先生にも面接の機会を頂戴しました。
現地では研究スタッフの構成(PhD researcher,リサーチ・アシスタント)、共同研究の文化を学びました。また、大事だと思えることには10年以上も費やすことのできる息の長い、スケールの大きな研究の様子もうかがい知ることができました。
現地では多くのリサーチアシスタントと話し、友人になりました。皆自らのストーリーを携えて(その幾分かが虚構であっても)努力していました。何かしらのバイアスがあるかもしれませんが、現地でのリサーチ・アシスタントは9割が女性でした。男女共同参画という面でも学ぶ点が大きかったです。
【Every tub on its own bottom】
Harvard University と、今回お世話になったBCH, McLean Hospital や、有名なMassachusetts General Hospital(MGH), Brigham and Women’s Hospital をはじめとする病院群は、医学生の実習や研究室運営などで提携関係にあるというだけで、基本的にそれぞれ独立した組織運営をされている点が注意が必要です。
ハーバードには”Every tub on its own bottom” という諺があり、全ての施設はそれぞれの責任で財源の管理をしなければならないという暗黙の了解があります。つまり見学生の受け入れなども各施設ごとのローカルルールが非常に色濃かったです。おそらくHensch先生の口利きがなければこれだけの多施設での滞在は叶わなかったと思います。
§5 その他研究室見学
ボストン滞在中与えていただいたタスクが、見学や脳波研究のほかは自分で研究計画を立てるというものでしたので、ほとんど予備知識がなかったこともあり、この機会にボストンにいらっしゃる幅広い先生方のもとにお話を伺い議論する機会を頂きました。合わせて15名のPIの先生方とお目にかかり、20名以上のポスドク・大学院生の方々とお話することができました。また、30以上のセミナーにも参加することができました。思春期の脳発達と価値形成は様々な社会問題に関わるため、ボストン全体で関心の高い分野であったことから、社会寄りの研究者の方々に興味深く話を聞いてもらうことが出来ました。
①Martha Shenton / Marek Kubicki 先生 精神科の笠井清登先生にご紹介いただき、Brigham and Womens Hospital の Martha Shenton 先生の研究室に二回訪問する機会をいただきました。Shenton 先生は精神疾患における脳画像研究のパイオニアであり、20以上のプロジェクトが進んでいました。なによりも驚いたのはMD研究者と情報系の研究者の積極的な交流でした。建物の2階分がラボに当てられており、上の階ではMD研究者が各デスクでそれぞれのプロジェクトを進め、下の階では大規模サーバーの周りでプログラムを専門にする研究者たちが大きなホワイトボードを囲みながら議論し、互いに盛んに行き来をしていました。Human Connectome Projectをはじめ非常に生産性の高い研究室である印象がありましたが、それがどこから来たのか腑に落ちる経験でした。
②Arthur Kleinman 先生
前述した医療人類学のパイオニアである Arthur Kleinman先生にお会いする機会がありました。彼の主要な著作である『病いの語り』は、慢性疾患のケアにおけるナラティブの重要性と、それを社会的な背景も混ぜて解釈する方法論を調べたほとんど初めての本でした。私は自らのケアの体験もあり、4年前から愛読していて、Kleinman先生は私にとっては最も偉大な学問的ヒーローでした。私は医学系の研究室が集中しているLongwoodではなく、大学側のCambridgeに住んでいました。到着後散歩をしていると、見覚えのある小柄な男性がいて、それがKleinman先生でした。出発前からアポイントメントは取っていたのですが、思わず声をかけてしまいました。先生は異国から来た一学生を温かく迎えてくださり、私が医学を志した家族的背景を事細かに聞かれました。最後にお会いした際にはGyukakuでごちそうしてくださり、忘れられない経験となりました。
医療人類学の分野では、Friday Morning Seminarが非常に有名です。これは毎週金曜日に行われる、ハーバード大学で最も古く50年ほどの歴史を持つセミナーです。Kleinman先生は奥様が亡くなられた2011年以降は参加しておらず、Byron Good 先生が奥様のMary-Jo先生と運営されていました。ボストンに到着した朝にもしやと思い ホームページを調べると開催されていて、時差ボケを押して弾丸で参加したところなんとそれが学期最後の回であり、何とか憧れのセミナーに参加できたことに安堵したことを覚えています。人類学の研究棟の最上階にあるWilliams James Hall で行われており、セミナーのときは彼の肖像画がちゃんと勉強しなさいよ、と見張っているような感じがするんだよ、と聞いていましたが、昨今の電子プレゼンテーションの普及でスクリーンで肖像画は肝心のセミナー中は隠されてしまい、時代を感じさせられました。セミナー自体も、社会学系の研究者だけでなく医師・看護師など臨床家もここぞとばかりに集まっており、ボストン初日にして学際的な雰囲気に圧倒されたことを覚えています。
これだけではなく、ハーバード大学周辺では幅広い分野のセミナーが盛んで、特に滞在初期は学期終わりで夏休みに入る前ということもあり至るところで集中講義が行われており、週1回はノーベル賞受賞者が話しているような状況でした。医学・生物学だけでなく経済学や経営学、社会学についても大変面白いものが多くあり、それらに潜る(といっても、一般学生の参加にもオープンであるものがほとんどでした)のも楽しみの一つでした。中でも印象的だったのはRadcliffe Institute for Advanced Studyで行われたMu-Ming Poo 先生(UC Berkeley, Chinese Academy of Sciences)の一般向けセミナーです。2018年に霊長類のクローンを初めて成功させ、かつRett症候群のモデルサルを作った人物ですが、講演終了後非常に批判的で辛辣な質問が会場から多数寄せられたことです。私自身も実験で用いたサルの安楽死に伴う倫理的な問題について質問したところ、うまく表現できていなかったのか”sacrifice”という言葉を出した時点で大ブーイングを食らってしまいました。後で事情を調べたところ、マサチューセッツ州全体の文化として非常にコンサバティブな部分があるということで、そのような研究室の外の文化も、その場所での研究の幅を限定しているということを痛感した事例でした。
【制度と、自己規定と】
留学を少しでも考えている皆さんは、若い頃に今まで経験したことのない文化にしばらく身を置いてみるべきだ、という言説にどこかで触れた事があるのだと思います。私自身、この意味をじわじわと実感できるようになったのはアメリカに滞在して1ヶ月半ほど経ってからのように思います。 Hensch labの研究テーマは「ある種の外界の刺激に対して高い感受性を持ちその後の情報の受け取り方が規定される時期は一生のうちある時期に限定される」という、臨界期と呼ばれる時期でした。やや乱暴になってしまいますが、異文化に身を浸す経験は社会的な臨界期を再び開いてくれる効果があるように思います。
留学で学んだこと、それは自分の人生は自分の自由である、という一点かもしれません。医学部に所属しているとどうしても狭い世界の中で先のことが見えがちで、これまでも何人かの先生方に先を見切ったつもりになるな、もっと鈍くなれ、との叱咤をいただいてきましたが、具体的な実感は今回の留学まで得られていませんでした。医学部に所属していること、東大に所属していること、今まで恵まれた環境で学んできたこと…あらゆることが自らの認知の中で将来の可能性を一定の道筋に方向づけようと働きますが、今回の留学はそうしたことから自由になってよいということに気付く貴重な機会となりました。
§6 現地の生活
ボストン(厳密に言うと町としては東西に流れるCharles River で北の Cambridge と南のBostonに分けられるのですが、それらの地域を合わせてGreater Boston area と呼びます。現地の人がBostonというときはGreater Boston Areaと限定的な意味でのBostonとがしばしば混同され、我々留学生はそのたびに右往左往します)はアメリカ全土でも随一の治安の良さを誇る町です。私の滞在していたCambridge は、大学の中心地である Harvard Yardを中心に据えた歴史のある学園都市で、美しい街並みでした。レンガの匂いの、人肌の重みのある空気が漂っていました。文化的な活動も盛んで、町は音楽にあふれていました。
A Friendly Inn at Harvard という宿泊施設を Hensch 先生の秘書の Giselle 様に紹介していただきました。シャワーとトイレ、キッチンは共用でしたが清掃が入り清潔で、週一回のベッドメイクも入っていました。ハーバードの関係者が住まうことができる宿で、だいぶ高齢の老ピアニストや、ポルトガルから一年休みをもらって勉強に来た若い経済学者、60歳になって博士を取りに大学に戻ってきたお母さんなど様々な人がいて、毎日おしゃべりするのが楽しかったです。生活面で自分のペースを作ることが難しかったため、毎週日曜日には近くの教会の礼拝に出て歌っていました。
食事面は、朝食はシリアルかオートミールとフルーツ、お昼は大学の食堂でサンドイッチかサラダで、夜は近くにSmith Centerという学生センターがあったためそこで簡単な食事を取ることが多かったです。健康志向の食事が多く、滞在中ケールサラダにはまり、 10種類ほど試しました。ただ、外食に頼りきりで自分のペースができなかったこともあり、すでにハーバードに行かれていた先輩から忠告されていたとおり、寒さも相まって3週目ほどで大きく体調を崩し、5日間風邪を引いて寝込んでしまいました。
ラボローテーションはボストン・ケンブリッジのほぼ全体を回るものでしたので、交通機関はたくさん利用しました。幸い電車(Red line, Green line)、バスが発達しており、最悪の場合はUberを呼ぶこともでき、あまり困ることはありませんでした。
町での過ごし方はlonely planetという地球の歩き方のオタク版のようなものをKindle に入れて適宜参照しました。ボストニアンの雰囲気を味わうことのできる場所はいくつもありましたが、村上春樹氏のエッセイにあるように、平日朝のCharles Riverは上昇志向のジョガーで溢れていて、独特の雰囲気でした。
ボストン(特に狭義のボストン)はアメリカの他の都市と比べても日本人が多めです。研究 者の交流の場が非常に盛んに行われています。月一回開催されるボストン日本人研究者交流会では、200名以上の研究者の方々と出会うことができました。ボストンは Ecosystem として、ベンチャー企業や製薬会社が大学の周りに集中しており、そうした産業界で積極的に研究を進めている方々と交流することができたことも刺激的でした。また、Longwoodでは毎週月曜日の朝6:30(!)に朝食を食べる会が行われており、そうした朝活での出会いも貴重でした。
また、鉄門の花井順一先生が中心となって医学系の日本人研究者の集まりが頻繁に開催されており、そこで延べ50名近くの研究者の皆さんや留学生と交流することができました。当初日本人との関わりがほとんどなく心細かった自分にとって、こうした会はとても心強かったです。この場を借りて深く御礼申し上げます。
§7 おわりに
とかく日々の雑事に追われがちな医学生生活ですが、出国日、手帳に空いたまっさらな8週間を眺めて、不思議な高揚感に満たされました。実際、帰国の前後で私自身何を大切にするかの価値判断が大きく変わったことを実感しています。なによりも自分自身が何者であり、何に価値を置くのかを見つめ直すことができたことが、大きな収穫でした。そうした内省は自分自身の力ではできなかったと思います。自分なりに考えていることをpreliminaryでもまとめて、論理的に議論をすると、どんなビッグネームの研究者でもフェアに扱ってくれることが新鮮で、そのような日々は喜びに満ちていました。Kleinman先生であっても、Arthurと呼んで対等な立場で話し合うことができたのです。もともとは思春期の脳発達について基礎研究を幅広く経験することが目的でしたが、現地で自分がよりケアの人間性に関わる部分、社会的な背景に関わる部分に関心があることに気づき、帰国してからはそうした研究を開始し、没頭しています。
現地で仲良くなり最も長い時間を一緒に過ごした他の国立大学医学部の友人は、その大学では臨床留学の機会がある一方で研究留学は認められず、1年間の休学を選んでいました。卒業は一年遅くなりますが、それ以上に得られるものがあると判断したようです。東大医学部は留学面で恵まれた環境にあると思いますが、他学部の学生に比べてチャレンジする学生の割合は少ないように思います。多少のリスクを押してもぜひこれを読んでくださっている皆さんには挑戦していただければと思います。
私事になりますが、2019年10月27日(日)に都内近郊にて医学生向けの留学報告会・交流会を企画しています。これは、昨年度M4の大沢さん、後藤さんたちが企画された全国の留学に関心のある医学部生の交流会を引き継いだもので、昨年度は200名以上の医
学生が集まりました(https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03297_04)。
私自身も今までの先輩方の留学体験に触れることがなければ一歩を踏み出していなかったように思います。ぜひ幅広い方々にご参加いただき、何かしら持って帰っていただける会とできれば、と鋭意準備中です。
最後になりますが、
IRCN設立に際しての初めての試みの環境を整えてくださったIRCN Hensch貴雄 機構長、小山博史先生、国際交流室名西恵子先生、中心となってやり取りをしてくださった麻田様、留学準備中も留学中も有形無形のご支援をいただいた、笠井清登教授、岡田直大先生、熊倉陽介先生、田宗秀隆先生をはじめとする東京大学精神神経科の先生方、教養学部以来鈍った英語を正課の授業と課外のプログラムを通じて訓練してくださったChristopher Holmes先生および松宮陽輔先生、生活面を含めた貴重な情報をくださり、また行く先々で東大医学部生の信頼を築き上げ、留学の道筋を整えてくださった諸先輩方(特に久米秀明さん、大沢樹輝さん、後藤隆之介さん)、ほとんど留学を考えていなかった私に、この機会を逃してはいけないと背中を押してくれた同期、そして本報告書に書ききれなかった方々も含め現地でお世話になった全ての方々、および家族に心から感謝申し上げます。
私自身、国際交流室に掲載された諸先輩方の報告レポートに低学年の頃より励まされ、ときにはレポートを介して直接ご連絡しご相談してまいりました。主観的な部分の多いレポートとなってしまいましたが、読まれた方にとって少しでもご自身の考えを整理するに資するものであれば嬉しく思います。